
お話を聞いた人
ゆかさん
- お住まい
- 福岡県
- 一緒に暮らした猫
- えらさちゃん・藤虎くん
犬を迎えるつもりで訪れた愛護センター
猫を迎えることになった経緯を教えてください。
もともと我が家は犬派で、子どもたちからもずっと「動物と暮らしたい」と言われていました。ただ、当時住んでいた家では飼えなかったんです。10年ほど前、動物と暮らせる家へ引っ越したことをきっかけに、子どもたちの希望で犬を探し始めました。
犬を探しに訪れた先で出会ったのが、えらさちゃんと藤虎くんです。
ペットショップではなく、愛護センターへ行こうと思ったのはなぜですか。
以前、テレビでミックス犬が流行として取り上げられているのを見て、私には違和感がありました。動物を売るための不自然な方法のように感じてしまったんです。それで、動物を迎えるならペットショップではなく、保護されている子の中からと決めていました。
当時は保護団体について詳しく知らなかったので、市内にある北九州市の愛護センターへ行くことにしました。
センターでは、どのように2匹と出会ったのですか。
北九州市の愛護センターで何匹か犬を見せてもらいましたが、なかなか決められませんでした。すると、職員の方から「猫も見ますか」と声をかけられました。猫も好きだったのでお願いすると、最後に病室へ案内していただきました。
病室で寄り添っていた2匹
病室で会った時の2匹はどのような猫でしたか。
職員の方からは「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれていた、推定7〜8歳の成猫2匹です。どちらも皮膚病があり、藤虎くんは目が瞬膜に覆われていて、見えていませんでした。
2匹は、どのような経緯でセンターに来たのでしょうか。
詳しい経緯は分かりませんが、別々の場所で保護されたそうです。同じ茶白で、どちらも皮膚病があり、年齢も近かったことから、同じケージで過ごしていました。
センターのスタッフの方々には、どのような印象を持ちましたか。
とても熱心でした。獣医師の方は2匹の状態を的確に説明してくださり、病気や高齢の猫のために病室を分けて、きちんと世話をされていました。
また、職員の方に見せてもらった写真では、2匹がトイレの中で手をつなぐように、ハート形になって寝ていたんです。「仲良しなので、2匹一緒に迎えてもらえませんか」と提案されました。
もらい手が見つかりにくいかもしれない子たちも何とかしたいという気持ちが伝わってきました。その姿勢に触れて、このセンターから迎えたいと思いました。

家族で考えた、命を迎える責任
実際に2匹を迎えると決めるまでのことを教えてください。
センターで抱いてみると、体がすっと腕に収まり、その感触が残りました。でも、家族とは犬を迎える話をしていたので、その日は一度帰ったんです。
ただ、「市の施設にいる以上、いつまでもここにいられるわけではない。殺処分が近いかもしれない」という考えも頭をよぎりました。家に帰ってからも、病室にいた猫たちのことが気になっていました。
ご家族には、どのように相談されたのでしょうか。
子どもたちに「犬を迎えようと思っていたけれど、目が見えない猫がいる。どう思う?」と聞くと、すぐに「いいよ」と言ってくれました。皮膚病のある2匹のことも「可愛い」と言って、気にする様子はありませんでした。
そのとき、私から家族へ伝えたのは、迎えた後の責任です。もし親に事故などがあったら、子どもたちがその先を引き受けることになる。家族に何かあったからといって、センターへ返すことはできないと話しました。それでも2匹を迎えようと、家族で決めました。

「おばあちゃん」から「姫」へ お迎えしてからの変化
迎える前の準備について教えてください。
センターで過ごしていた環境に近い方が安心するだろうと思い、まず3段ケージを買いました。迎える前日に組み立て、当日は2匹ともケージの中で過ごしてもらいました。ごはんは少し食べ、トイレも比較的スムーズでした。
ケージの扉を開けてみると、藤虎くんはすぐに膝や肩へ乗り、すりすりしてくれました。朝4時に私が起きてくることも覚え、「出して」と待つようになりました。結局、ケージを使ったのは1か月ほどです。
迎えてからの変化はありましたか。
印象的なのはえらさちゃんです。施設で「おばあちゃん」と呼ばれていたのですが、家では「姫」や「お嬢さん」と呼ぶようになりました。家族が「可愛い、可愛い」と接しているうちに、表情まで変わって見えたんです。呼ばれ方も、その子に伝わるのかもしれないと思いました。

初めて猫を迎えたゆかさんにとって、2匹との暮らしはどうでしたか。
2匹は落ち着いていました。甘えてもくれましたし、最初は運動会もしましたが、よく寝ていました。私自身が猫と暮らす初心者だったからこそ、あの2匹が来てくれたのかもしれないなと思います。
目が見えない猫との暮らし。迎えてから知ったてんかん発作
目が見えない藤虎くんとの暮らしは、実際にはいかがでしたか。
最初は物にぶつかりながら、家の中の場所を確かめていました。匂いも使いながら覚えていたのだと思います。高い場所へとっさに跳ぶことは難しくても、ソファの位置を覚えると、自分で乗れるようになりました。家では低いソファへ替え、段差に気をつけました。
藤虎くんにてんかんがあることは、迎えてから知りました。月に1〜2回ほど発作があり、薬を常用していました。すぐに気づけるよう、夜は腕の中に入れて一緒に寝ていたんです。それが、そのまま10年の習慣になりました。
手がかからなかったとは言えません。でも、私はそれを苦には感じませんでした。

延命治療はエゴなのか?自宅点滴を続けるか否かの選択
2匹との最期の時間についても教えていただけますか。
2匹とも通院は多く、最期には医師の指導を受けながら、自宅で点滴をしました。体が痩せるにつれ、針を刺すこと自体が難しくなりました。生きていてほしいという自分の気持ちで、痛い思いをさせているのではないか、これは私のエゴではないかと、ずいぶん悩みました。
えらさちゃんは、5か月ほど自宅で点滴を続けました。最期には体重が2キロを下回り、下半身で立つことやトイレも難しくなりました。点滴をやめ、「もういいよ、ありがとう」と伝えた後、日付が変わった夜中に旅立ちました。
藤虎くんも、病院で最期が近いと言われてから自宅で点滴を始めました。ただ、体が痩せて針を刺すことが難しく、数回でやめました。その後は、スポイトで水や液体のフードを少しずつあげました。
藤虎くんには、どうしても「もういいよ」と言えませんでした。いなくなるのが怖くて、「行かないで、生きていて」と何度も泣きました。
最期に藤虎くんは、下半身を引きずりながら、すりすりしに来てくれました。「ああ、逝くんだな」と感じて夫へ連絡し、帰宅した夫と30分ほど一緒に過ごした後、静かに息を引き取りました。
2匹とも、最期には体重が2キロほどまで落ちました。
藤虎くんを失ってからはまだ日が経っておらず、家族の間でさえ、今も普通に話せないほど空いた穴は大きいです。それでも、「抜けた穴さえ痛みはあるけど愛おしい」と思っています。それだけ、10年間の存在が大きかったのだと思います。

猫は私にとって人生の師匠
2匹との10年を振り返って、今どのように感じていますか。
ご縁があって迎えた猫たちを、私たちが幸せにしてあげるのではないと思っています。お世話をさせてもらうことで、人間の方が幸せになる。それが一番感じたことです。
仕事で落ち込んだときにはそばにいてくれて、可愛い仕草に癒やされました。名前を呼んでも来ないときは、「自分の意思を持っていいんだ」と教えられているようで(笑)猫は、私にとって人生の師匠です。
2匹と暮らして、猫は「いるだけで、生きているだけでありがたい」と思うようになりました。そこから、「人も、いるだけでいいんじゃないか。どうしてそんなに条件をつけたり、値踏みしたりするのだろう」と、反省させられたんです。
動物と暮らすと、別れが悲しいからと考える方もいると思います。それでも私は、人間の何分の一しか生きられない、大切な猫生に関わらせてもらえて幸せだったと思っています。悲しみも含めて、猫と暮らすことは豊かなことだと感じます。
これから猫を迎えようとしている方に、何か伝えたいことはありますか。
子猫の可愛さに目が向く方は多いと思います。もちろん、成猫を迎えれば別れが早く来る可能性はあります。それでも私の経験を通して、初めて猫を迎える人にも「成猫を迎える」という選択肢があることを伝えたいです。
編集後記
猫との生活が私たちにもたらすもの
ゆかさんの「猫は、私にとって人生の師匠です」という言葉が印象に残りました。
私も猫と暮らしています。急いでいるときのイタズラ、ごはんの選り好み、寝る前の猫パンチ。そんな「ネコハラ」に振り回されても、結局は「猫が幸せなら、まあいっか」と笑ってしまいます。一方で、私が本当に落ち込んでいるときには、ただ隣にいてくれる。気まぐれに見えて、実は愛情深い生き物だと感じます。
保護猫を迎えることは、猫を助ける選択であると同時に、猫と暮らすことで私たち人間が受け取るものも、計り知れないのだと感じました。
この記事を書いた人
石佛晴奈
ネコリンク編集長/合同会社Enphoria代表
地域猫との出会いをきっかけに保護猫活動を知り、現在は自身も保護猫と暮らす。猫との暮らしを支えるスマホアプリ「ネコカルテ」「ネコゴハン」と、保護猫と人をつなぐメディア「ネコリンク」を運営。ネコリンクでは、自ら取材・執筆も行っている。
運営者について※この記事は、2026年9月にゆかさんへ行った取材をもとに作成しています。公開前にご本人へ確認しています。



